マーラー祝祭オーケストラ

2001年春。ベルティーニ、チェリビダッケに学び、当時アルメニアを中心に活躍していた注目の指揮者・井上喜惟(ひさよし)の提案により、「ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ」が発足しました。メンバーは学生から一般社会人まで幅広い年齢で構成され、また弦楽器を中心に複数のプロ音楽家が共同参加。ウィーンの国際マーラー協会から承認を受け、年一回マーラーの交響作品を中心に採り上げてきました。

2015年に「マーラー祝祭オーケストラ」に改称し、2015年8月に交響曲「大地の歌」、2016年2月に交響曲第8番「千人の交響曲」を演奏して、これを以て全交響曲のサイクルが完結しました。しかし、これで終わることなく、マーラーを愛するオーケストラは再び新たなサイクルを開始しました。

今後は、マーラーの作品のみならず、マーラーが敬愛したブルックナーやマーラー以降に綺羅星の如く現れた様々な作曲家、アレクサンダー・ツェムリンスキー、アルノルト・シェーンベルク、フランツ・シュミット、アントン・ヴェーベルン、アルバン・ベルク、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ等の作品も採り上げて行きます。


井上喜惟(いのうえ ひさよし)

1979年、中学卒業と同時に渡欧。ウィーンでピアノを名教師ブルーノ・ザイドルホーファーおよびチェコ出身のピアニスト、ブランコ・チュベルカに師事。その後、指揮をオーストリア共和国音楽総監督クルト・ヴェスに師事。1982年よりミュンヘン、マインツでセルジュ・チェリビダッケに、バイロイト音楽祭でホルスト・シュタインに師事。1986年よりケルン放送交響楽団他で、マーラー演奏の大家で知られたガリー・ベルティーニのもと、さらに研鑽を積む。同時にレナード・バーンスタインにも師事。ブラジルの名匠イサーク・カラブチェフスキーおよび小澤征爾のアシスタントを務めたこともある。

 

「私は大きな才能に出会いました。彼が今後重要なキャリアを築き上げていくことを確信しています。」イサーク・カラブチェフスキー(1991年10月30日)

 

1992年、チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会でバーバーの管弦楽のためのためのエッセイ第2番、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(共演は台湾のピアニスト、ルェイビン・チェン)、プロコフィエフの交響曲第5番を指揮して正式デビュー。同時に、同オーケストラとチャイコフスキーの交響曲第5番、スラヴ行進曲を録音、CDデビューも果たす。以後、チェコ、ポーランド、旧ソ連等を中心に活躍、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団とはフジテレビのために交響組曲「北の国から」のCDを録音、またチェコナショナル交響楽団を指揮してピアニスト舘野泉ともにグリーグ、ラフマニノフの第2番、ブラームスの第1番のピアノ協奏曲のCDをリリース。

現在まで、ラフマニノフの録音は古今の同曲のベストレコーディングのひとつとして高い評価を得ている。

 

「彼はまだ30代のはずだが、最近のチェリビダッケのようなスケールの大きい、そして透明で緻密な響きには感心した。」平林直哉(1996年6月、CDジャーナル)

 

ウィーンでアルメニアの作曲家、指揮者の巨匠ロリス・チェクナヴォリアンと知り合いになったことがきっかけとなり、1993年、アルメニア・フィルハーモニー管弦楽団を指揮、朝日、日経新聞紙上で大きな話題となった。以来2000年まで客演指揮者を務めることとなった。

 

2000年4月、井上の尽力により同オケは日本政府の無償資金協力を得て楽器等を一新、同年9月にはそれらの楽器の披露も兼ねて、井上自身のプロデュース、国際交流基金の助成によりアルメニアの首都、エレヴァンで「日本音楽週間」が実現した。この模様は朝日新聞紙上で大きく取り上げられた。

2001年から2003年までアルメニア国立放送交響楽団音楽監督・首席指揮者。

 

「しっかりとした低音の上に和音が積み重なったドイツの音。しかもディテールは明瞭で、立体感がある。音楽の進行は慌てず騒がず・・・クレンペラーを連想したほどだ。」許光俊(1998年2月、モーストリークラシック)

「日本のアマ・オケをウィーン・フィルに一定期間変身させる。特に美しいポリフォニーを引き出すことにかけてはライバルを見つけるのは困難なほどだ。」鈴木敦史(2000年11月、グラモフォン・ジャパン)

「イノウエは素晴らしく音楽的な耳と知識を持つ優秀な音楽家です。彼はこれまで様々な演奏会で指揮をしてきましたが、その仕事ぶりは非常に優れたものでした。アルメニア・フィルとの演奏会の録音が彼の能力を証明しています。」ガリー・ベルティーニ(2002年11月)

 

2001年、マーラーの交響曲全曲を演奏することを目的に、ウィーン国際マーラー協会からの承認を得て、アマチュア・オーケストラ、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラを設立、音楽監督に就任。常にマーラー協会からの新しい研究成果を共有し、演奏に反映しており、その演奏は大きな反響を得ている。

 

「彼らの第6番の演奏は、真に注目すべきものであり、これほどまで異文化を消化し、表現していることに驚きを禁じ得ません」ラインホルド・クビック、ウィーン国際マーラー協会副会長(2002年10月2日)

 

2003年には国内外で活躍する日本のトップクラスの音楽家たちとジャパン・シンフォニアを創設し音楽監督に就任。 ジャパン・シンフォニアの演奏会は常に音楽関係者、音楽ファンから高い評価を得ていて、日本にこのようなヨーロッパ的響きのオーケストラが他にあるだろうかと絶賛されている。ジャパン・シンフォニアとは多数のCDが発売されており、音楽関係各誌で高い評価を得ている。

2012年からモンゴル国立音楽舞踏大学客員教授、および日本アルメニア協会理事(会長:前ソ連全権大使・枝村純郎)。

 

2012年10月にはモンゴル国の首都ウランバートルでピアニスト・舘野泉、モンゴル国立フィルと「日本・モンゴル修好40周年記念演奏会」(在モンゴル日本大使館主催)を指揮。

 

2013年1月からモンゴル国立フィルハーモニー管弦楽団常任客演指揮者に就任。

 

2016年からアルメニア国立フィル客演指揮者に復帰。今後、同オーケストラとの海外ツアー、レコーディングが計画されている。また、2016年11月にはエルサレム交響楽団に客演予定。来日公演も予定されている。今後、ヨーロッパ、中南米のオーケストラへの客演なども含めた活動が計画されている。